法華念仏宗の特徴
仏教とは、無我の教えです。
無我とは、執着を離れることです。
法華念仏宗では、法華経を所依の経典とします。
法華経とは、諸仏諸尊依を説いた大乗仏典です。
法華念仏宗は、阿弥陀を本尊としています。
報身としての阿弥陀如来は、一体の霊格ですが、
法身として捉えた場合、阿弥陀如来とは、諸仏諸尊の別称です。
従って、個々人の信仰においては、
必ずしも、阿弥陀如来を本尊とする必要はありません。
法華寿量品で明かされている久遠仏とは、一仏ではなく、諸仏です。
法華念仏宗では、阿弥陀如来という名号を、諸仏諸尊の別称と捉えますので、
「南無阿弥陀仏」とはすなわち、
「諸仏菩薩に帰依し奉る」という意味を持つのです。
つまり、法華念仏宗は、あくまでも諸仏諸尊に帰依する宗派であり、
阿弥陀如来という、一体の仏のみを崇拝するということではありません。
個人の家庭の仏壇に据える本尊としては、
観音菩薩であっても、不動明王であっても構いません。
観音菩薩、不動明王を通じ、諸仏諸尊に祈りは通じて行くのです。
これを「一仏即多仏」と申します。
○○菩薩、□□如来、△△神など、寺社で祀られている、
あらゆる尊格を諸仏諸尊と申します。
これはすべて、過去、この世の中において、
生身の肉体を持って生きていた存在です。
これらの存在が、霊となって、
我々を守護していると、法華念仏宗では考えます。
これらの尊格の中には、霊格の高低がありますが、
阿弥陀をこれらの中心として尊崇し、
根本経典として法華経を奉ることで、すべての尊格は、
障りを成すことなく、我々を守護するのです。
法華経には、いかなる方法論(方便)であっても、
至心に仏に帰依すれば、成仏につながり、
また、この者を諸神が守護すると説かれています。
法華念仏宗では、この教えに基づいております。
「念仏」とは、諸仏諸尊を念じることです。
南無阿弥陀仏と称えることが念仏ではありません。
観音を思えば、それも念仏。
不動明王を思えば、それも念仏。
天照大神を思っても、念仏です。
心に仏を思うから「念仏」なのです。
その時、
「南無阿弥陀仏」「念彼観音力」「ノーマクサンマンダー云々」
「かしこみかしこみ云々」「南無妙法蓮華経」
その他、諸仏諸尊に呼びかける言葉、すべてを法華念仏宗では重んじます。
言葉に出して唱える、諸仏諸尊の宝号を、総じて「真言」と呼びます。
心で思うことを「念仏」。
言葉に出すことを「真言」。
このように法華念仏宗では定めております。
諸難の多い現代社会では、現世利益は何より、人々の願いです。
法華念仏宗は、決して現世利益を否定しません。
至心に帰依すれば、諸仏諸尊は何とか助けてあげたいと思ってくださります。
その結果、思わぬ形で救われることもあります。
現世利益が表れれば、諸仏諸尊の存在を人々は確信します。
諸仏諸尊の存在を確信すれば、自ずと人は、己の行為を律するようになります。
複雑な教義を人々は尊びますが、
諸仏諸尊の存在を確信すれば、教義などどうでも良いことです。
真言宗を「純密」と申し、それ以前の原始的なダラニを「雑密」と申しますが、
法華念仏宗は、むしろ「雑密」を旨とするものです。
至心に祈り、諸仏諸尊の導きにすがるのが法華念仏宗です。
高邁な教えを求めるならば、天台宗や真言宗の教義書に、いくらでも書いております。
法華念仏宗とは、雑然とした原始的な諸仏諸尊への信仰を通し、
諸仏諸尊の存在を理解、納得する実践です。
仏教の尊格にとらわれず、諸宗教のあらゆる尊格を尊ぶものです。
一往、仏教の系統としますが、本質は総合的な宗教です。
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